まるちゃんのえくぼ

まるちゃんにまるまるする日常

繋がった空の下

まるちゃんが空の写真をあげるようになったのは2011年のあの日から。

 
あの日以来、一旦更新が止まってしまい、何日か更新されませんでした。
正直、被災地の中にいた私は、周りと連絡取ることもできなかったし、電気も止まっていたから携帯の充電を減らしたくなくて大切な日を見る余裕なんてありませんでした。
だから、まるの日が更新されていないこともしりませんでした。
 
この前も同じこと書いたかもしれませんが、私の住んでいる地域は内陸で、津波の心配はなかったため、たとえ被災地といえど、停電とか断水とか部屋がぐちゃぐちゃになるくらいで、何もかもを失った方に比べたらなんてことない状況でした。
 
いつも通り仕事には行かなければならないし、DMATは既に派遣されていましたが人手が足りないと、一般のスタッフにも被災地への派遣要請があったりとバタバタしていました。
そんな時に癒しを求めて、思い出したようにまるの日を覗きに行ったのが14日。
でも更新は11日のままでした。
 
まるちゃんに何かあったのかな…
無事なのかな…
 
と不安になったりもしました。
そして次の日も更新がなく、早くまるちゃんの存在を確認したいよ〜となっていた16日、ようやく更新されました。
 
『みなさんの元気の支えになれるように』
って沢山言葉を選んで更新してくれて、精一杯のまるちゃんの気持ちと元気をもらった気がして嬉しかったんです。
 
『みんなどこかで繋がっている』
『こんな時みんなはどんな言葉が欲しいんやろ』
と悩んでくれたまるちゃんの優しさが嬉しかった。
 
その週のレコメンでは、
fuka-fuka Love the Earth
LIFE
が流れてきて、気がついたら泣いていました。
 
 
それから、まるの日に空の写真がつくようになりました。
『僕たちはどこかで繋がっている』
それが空だったんですね。
空はこの世に一つしかなくて、みんな同じ空を見ているのは当たり前のことなんですが、それでも、たった今、自分の上にある空はまるちゃんが見ている空とは表情が違うくて、それでも『同じ』空であることに変わりはない。
 
『僕はこの空の下で今日も元気です
    みなさんはどうですか?』
という想いを込めて毎日載せてくれた空の写真。
被災地の人にとって、瓦礫の撤去や眼下に広がる色んな山積みな問題に黙々と取り組んでいる中、空を見上げる余裕をくれたんじゃないかなと思っています。
被害のたいしたことのない私が言うのも憚れますが、少なくとも落ち込んでいた私には空を見上げる気持ちを思い出させてくれました。
 
だから、今回もたくさんの方にとって、まるちゃんの言葉が、写真が元気と癒しと勇気になっていると思います。
そんなまるちゃんが、やっぱり大好きです。
 
 
被災地のみなさん。
まだまだ辛くて苦しい状況が続いていると思います。
無理に笑う必要はないと、私は思います。
人にはそれぞれ、悲しみの種類があって、無理にでも笑って消化できるものもあれば、心いくまで泣いて消化できるものもあります。
辛い時は沢山泣いて、周りの人に頼って下さい。
一緒に泣いてくれる人も沢山いてます。
でもその分、笑顔にさせてくれる人も沢山いてます。
生きていればもちろん辛いことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいこともあります。
人間は必ず前を向いて歩くものです。
人生、ずっと後ろ向きに歩ける人なんていません。
心だってそうです。
生きてさえいれば、歩くためにいつかは必ず前を向くんです。
悲しみや苦しみを忘れろなんて言いません。
泣きたい時は、心が悲鳴をあげているんです。
だから、たくさん泣いてください。
1人で抱えきれないものは、誰かに持ってもらってください。
一緒に持ってくれる人が必ずいます。
一緒に、その荷物を少しずつ減らしていってください。
笑おうと思わなくても、いつか笑えます。
だから、今、生きてください。
ただそれだけ。
何かを頑張るんじゃなくて、ただ生きること。
一番大切で一番難しいことかもしれません。
 
そのために、私が今できる精一杯の努力はします。
こんな離れた場所からでも何か、力になれることはたくさんあると思っています。
あの時、たくさんの人がしてくれたことを、そのまま今度は自分がお返しする番だと思っています。
今生きることに頑張っている人、頑張りたくても頑張りようがない人に頑張れなんて言いません。
ただ、負けないでね。
 
 
『あの日誰かが見た景色を見ることはできないけど、あの日の誰かが見たかったかもしれない景色を今見ているんだ』
と思いながら、私は今日も生きています。