まるちゃんも昨日、見てたのかな。
あんな形で終わってしまうなんて、あの頃は誰も思っていなかったもんね。
追いかけるべき大きな背中が目の前から消えてしまった時、きっととんでもない喪失感と悲しみがあるんだろうな。
それでも、目の前の背中が見えなくなってしまっても、ずっと追いかけ続けて欲しいし、いつかたくさんの後輩から追いかけられる背中になって欲しい。
こんな時でも自分の周りの時間は変わらず当たり前に流れているわけで。
その先に何があるかなんてわからない。
手にしたものがどんな形で残るのか、その手からこぼれ落ちていくのかはたまた自ら手放すのか。
その選択すらきっとその時にならないとわからない。
だからこそ、自分を見失わずにそのままでいて欲しいな( ´◡` )
まるちゃんはまるちゃん。
どんなに頑張っても誰にもなれないし、誰もまるちゃんの代わりにはならない。
それはみんなも同じ。
きっと、みんながみんなの特別なおんりーわん(●´৺`●)
とかどうでもいいこと書いてみたけど(*´艸`*)
まるの日の最後の言葉。
前は
君にとっても
素敵な一日でありますように
だったのが、
東日本大地震を境に、
君にとっても
素敵な一日になりますように
に変わったよね。
熊本地震からはその一言が消えて、そして誕生日以降時々、
じゃ、また明日
って言ってくれるようになったよね。
当たり前がある奇跡。
そんな意味もあるのかな。
明日が来るのも当たり前ではないもんね。
こういうお仕事していると、明日目が覚めていつもと変わらない日常を過ごせるってどんなに幸せなんだろうって思うよ。
まるちゃんがその時その言葉を選ぶとき、何を思って何を見ているんだろうっていつも凄く考えてしまう。
深い意味はないかもしれないけど、でも、意味のないものなんてないから、きっと何かの思いがあるんだろうな。
そんな小さいけど大きなまるちゃんの思いがいつか理解できればいいなぁ(●´৺`●)💕